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伝統菓子・地方菓子- Traditional confectionery -

シェフの思い出の菓子

豊長 雄二(デフェール)2015年07月30日

サントノーレSaint Honoré

サントノーレって、パティシエにとって宿題みたいなものだと思うんです。ブリゼとシューという基本的なパート、クレーム・パティシエールにイタリアン・メレンゲを加えたシブースト、みるみる固まってしまうカラメルを使っての組立て作業。そして独特のクリームの絞り方。完成までにいろんな課題が次々と差し出される、そんなお菓子ですよね。私がそんな印象を持っているのは、パリからモネの庭園で有名なジヴェルニーへの途次、ヴェルノンという小さな町の名店、「レイナルド」での経験があったからかもしれません。

私がバスク地方から、次の研修先としてここを目指したのは96年頃だったと思います。オーナーシェフは熱血漢。厨房には日に何度となく怒鳴り声が響いていましたが、その日も彼の大声がとどろきました。「なぜ楕円なんだ!これをサントノーレと呼べるかっ!」。彼の手には、パートをのばすときに正円より少し長くなってしまったのでしょう、楕円形に仕上げられたサントノーレ。と、やおら彼は罵声とともにそれを床にたたきつけたのです。厨房中に飛び散るクリーム、尚も怒り狂うオーナー。惨状を前にしながらも、サントノーレはきれいな円形であるべき、そんなフランス菓子の「基本」に対する職人としての並ならぬ思いを、まさに実感する一件でした。

次に移った店のオーナー、ミカエル・アズーズ氏の推薦によって、私は日本人で初めて「コンパニョン」に任命されました。これは「ル・コンパニオナージュ」という組合の組合員のことで、職業を問わず「奉仕されず、させず。自らが奉仕せよ」という哲学のもとに、仕事に従事する人々の集まりです。この場合の「奉仕」というのはボランティアではなくて、「自発的である」という意味。使命感を持ち、能動的に取り組むということなのです。身に過ぎる栄誉と一度はお断りしたのですが、私の普段の仕事ぶりや、休日返上で学んでいたこと、フランス人の社会に入り込んで、彼らとその国の精神を身をもって理解しようとしていたことなどを評価いただき、謹んで受けることにしました。計らずもこれによって日仏の橋渡しとしての任務をも請け負うことになったわけですが、パティシエとしての私が果たすべきは、今は懐かしいサントノーレ事件にみられるような、フランス人の心に根づくフランス菓子・文化を正しく伝え、後進に示していくことだと思っています。