●シャルロット2015年07月30日
シャルロット Charlotte
ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールで側面と底をつくり、中にババロワやフルーツを流し込んで、さらにビスキュイでふたをして冷やし固めたもの。径はさまざまだが、10cmほどの高さがあり、縁の二箇所に鍋の取っ手のようなつまみのついたシャルロット型で作られる。
発生は18世紀末の英国で、残り物のスポンジケーキやブリオッシュのようなパンを、フルーツのジュレやコンフィと混ぜ合わせたwhim-wham(ウィム・ワム)と呼ばれる、トライフルの前身のようなお菓子がもとだといわれている。
これがフランスに渡って流行。しかしその形は少し変化し、バターを塗った円形の型の内側にビスキュイ(当初はビスキュイ・ア・ラ・キュイエールではなかった)を並べ、中にリンゴのコンポートをつめて30分ほど焼き、さらにアングレーズ・ソースで覆うという温かいお菓子であった。
19世紀に入ってから、このお菓子を飛躍的に洗練させたのは、アントナン・カレームである。生地をビスキュイ・ア・ラ・キュイエールで軽く美しく仕上げ、中にはババロワを流して本来の冷菓の形にした。これは「シャルロット・パリジェンヌ」と呼ばれて、王侯貴族の間で広まっていく。因みにカレームが残したもうひとつのシャルロットが「シャルロット・ア・ラ・リュス」(ロシア風シャルロット)。コーヒーリキュールをしみこませたビスキュイを型に敷いて、泡立てた生クリームとクレーム・パティシエール、フルーツの砂糖漬けなどを詰めたもの。これはロシア皇帝に仕えた時代に考案されたものである。
「シャルロット」の名は、当時の女性がかぶっていた帽子に形が似ているため、この帽子を流行らせたとされる、英国王ジョージⅢ世妃のシャーロットに因んだという説が有力。
○用語・人名解説
ビスキュイ・ア・ラ・キュイエール biscuit à la cuillère
1540年、イタリアからカトリーヌ・ド・メディシス(カトリーヌ・ド・メディチ)の輿入れとともにフランスに伝わる。キュイエール(スプーン)の名の通り、当時は泡立てた生地をスプーンで紙の上に流して焼いていた。後にカレームが絞り袋を使って細長く形作ったものをシャルロットに仕立て、より知られることとなった。
アントナン・カレーム Antonin Carême (1784~1833)
近代フランス料理・菓子をひらいた料理人。10歳にして居酒屋の厨房で始めた修行の傍ら、学術をはじめ彫版術、建築学を勉強する。18歳で独立後は当時の名料理人とともに仕事をし、1815年にはロシア皇帝アレクサンドルの料理長に就任。次いでイギリス皇太子に仕え、再びロシアの宮廷を経て、フランスにもどる。ここでバグラシオン公妃に仕えながら、さまざまな形で表されていた料理・菓子を系統立てて整理し、数多くの文献を著した。食卓では中世から続く重い味わいの料理や菓子を、バランスのとれたものへと改良。建築学をふまえた見事な料理を取り仕切り、一度の宴で最高1200名をも魅了したといわれる。特にお菓子の分野では高く積み上げたピエス・モンテや、美しい飾りつけを考案、現在でも尚、大きな功績をとどめている。
パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ 藤生義治
シャルロットの定番、ポワール(洋梨)を使って仕上げた一品。やさしい食感と口どけに洋梨が香り立つ。フランボワーズのジャムで一点ピッとしめたのは藤生シェフのエスプリ。